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『MOTHER CALL』 4

  *

 二日後。弥生は201号室を訪れた。
 病室の主、吉田真里亜はベッドから体を起こし、窓の外を眺めていた。
「お加減はいいようですね」
「はい、お蔭様で……」
 弥生は真里亜の側に近付く。
「赤ちゃんの名前は決まりました?」
「まだです。でも我が子って可愛いですね。産んで初めて気付きました」
 母になった喜びの表情を見せる真里亜。弥生は躊躇いながらも切り出した。
「ねえ、吉田さん。『新人が入ると現場が荒れる』って言葉、知っていますか?」
 聞いた途端に、みるみる真里亜の表情が硬くなる。
「その言葉を知っているって事は、やっぱり貴女が〈もう一人の新人〉だったのね」
 弥生が気になっていたのは、真里亜の産後の様子だった。真里亜は救急車で運ばれてきた。破水後、三十分と経たない内にベビーが産まれてしまったのだ、自宅で。所謂、〈墜落産〉。
 こんな事はこの小さなクリニックでは、十年に一度あるか無いかの出来事だ。弥生も初めての経験で、患者の前で動揺してしまわないか不安だった。搬入玄関に汚れ防止のビニールを敷き、術衣を着てそわそわしながら救急車の到着を待った。
  林ドクターが車内で臍の緒を処置、ベビーの体温が下がらないよう、急いで保育器へ。その後車から一人で降りてきた真里亜は、妙に落ち着き払っていた。 消防の救急救命士の申し送りでは、他の家族がいなかったにも関わらず、ベビー出産後の応急処置も完璧で、後は搬送するのみだったと言う事だった。十年働いている弥生でも慌てたのだ、その処置や態度が気になった。しかし他の患者への応対で、すっかりその事は忘れてしまっていたのだった。
「どうして夏川さんを……?」
 沈黙する真里亜。そんな彼女を黙って見つめる弥生。やがて根負けしたかのように、真里亜は口を開いた。
「ムカついたんです」
 簡潔にして単純な理由。
「私、この春に準看護学校を卒業しました。彼女は私の同期でした」
「看護師って繋がっていないようで、繋がっているからね。多分同じ学校だと思ってた」
 真里亜はうっすらと微笑した。
「私どうしても看護師になりたかったんです。正看の学校はお金がなくて入れなかったから、準看学校でしたけど。必死で勉強して成績はいつもトップを維持していました」
 微笑が苛立ちの表情に変わる。
「一回だけ夏川が人数合わせで来てくれって言うから、仕方なく行った合コンで、初めて会った男に無理矢理……妊娠が判ってからも、お腹を必死に隠して学校に通って」
「…………」
「二月の国家試験受けたかった。合格する自信はありました。だけど……」
「もう、隠せる状態のお腹じゃなかったのね」
 弥生の言葉にこくりと頷く。
「後はお決まりの展開です。両家の親同士が話しあって、とりあえず籍だけ入れて。ただ子供の為だけの結婚をして」
 子供は嫌いじゃなかったから、産む決心は出来た、と笑った顔が何故か哀しく見えた。
「藤澤さん、私見学授業でこのクリニックに来ていたんですよ。覚えていないでしょうけど」
 確かに覚えていなかった。今や母となった彼女は、白衣姿など想像すら出来なくなっている。
「自由時間もこのクリニックの器材なんかを、あちこち見学していたんですよ。ここで働きたかった……その後から産科の勉強を必死でしました」
 ふと真里亜は険しい表情になる。
「なのに、私なんかよりもずっと成績の悪い夏川が、ここの看護師になっていた。夏川はずっと遊んでた癖に、ちゃっかり就職。私は妊娠で無職。〈素人〉の私は一人でも、自宅で子供を産んで、応急処置も出来た。それなのに〈プロ〉の夏川は、現場でオロオロするばかり。腸が煮え繰り返るって、このことなんだなって思いました」
「……エルゴメの注射器はいつ手に入れたの?」
「分娩室で、産後の処置をしている時に盗みました。私には切開の必要がないから麻酔はいらなかったのに、あの馬鹿は用意してた。だから貰っちゃいました」
「じゃああの時一階にいたのは……」
 注射器を棄てに来ていたのか。ここの産業廃棄物処理室は一階にある。関係者でなければ分からない事だ。
「巡回に来た時に首を絞め、エルゴメを打ってふら付かせてから、もう一度首を絞めました。……でも嬉しかった」
「何故?」
「この病院で注射が打てたから……」
 血管がボロボロだと、あの刑事は言っていた。
 注射に不慣れな新人。何度もリテイクしたのだろう。
 子宮収縮の痛みに耐え、本来筋肉に打つ注射を、看護師志望だった女が静脈に打つ。何度も何度も、嫉妬と夢と挫折感を込めて――。
 その光景を想像すると、弥生の心の中は、やり切れなさで一杯になった。
「藤澤さん、私はもうすぐ警察に捕まりますよね?」
「…………」
「最後に私を〈新人〉って呼んでくれて、ありがとうございました」
 弥生に向かって真里亜は一礼した。そんな言葉一つからも、看護師という職務への熱意が伝わってくる。
 何故、命を救う仕事を志望している者が、新しい命を授かり、そして他者の命を奪わなければならなかったのだろう。運命の歯車はなんと残酷な事か。
(そういえば……。)
「ねえ、一つだけ分からないの。あの時ナースコールを鳴らしたのは何故?」
「え? 私は鳴らしていないです。分娩室前で事を済ませて、直ぐに一階に行ったんです。ここまで来て、もう嘘はつきません」
 誰も鳴らしていないナースコール。
 あのナースコールが無ければ。弥生はしのぶを探しに出て、そして真里亜は――。
 殺人を犯す程の嫉妬、母を想う子の叫び。そうとでも思わなければ解釈出来ない、不可解な出来事。弥生は自分の仕事が〈聖職〉と呼ばれる理由が、少し理解出来たような気がした。
 201号室のドアがノックされたのは、その時だった。

               ‐FIN‐
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竹の子書房社員・水崎沙亜乃の竹の子書房用作品倉庫。
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