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『MOTHER CALL』 2

 *

5/24 PM 11:50 
本人より痛みが十分間隔になったとTELあり。こちらへ向かうよう指示。ドクター上申の事。
5/25 AM 0:35
自宅にて破水とのTELあり。応急処置を指示。
AM 0:48――。
 書きかけて弥生は、ふと重い溜息をついた。
 新人が入ると現場が荒れる。
 師長の呪いの言葉が効いたか。医療現場で働いて十年経つ弥生だが、今夜程この言葉―ジンクス―を実感した日はなかった。
 ゆっくり出来ると思っていたが大間違い。何の因果か、患者三人が一度に産気付いて救急でやってきたのだ。こんな夜は滅多にない。
 分娩台では今すぐにでも産まれそう、玄関先には救急車と、ドクターと弥生と智美は目の回るような忙しさだった。新人のしのぶは、周りをうろうろするだけで精一杯。気が利かないしのぶに苛々した林ドクターは、八つ当たりの怒号を発する。しのぶは涙目で働いていたが、弥生はフォローしてあげる事も出来なかった。全てが終わり、弥生達看護師がカルテの記入に手を付ける事が出来たのは、午前三時を過ぎた頃か。
 弥生は、一夜で三人も増えた入院患者に呆気に取られる、厨房・事務職員のそれぞれの顔を思い浮かべた。 
 分娩室の全ての清浄を終えて、智美が詰所に戻ってきた。疲労困憊と記入してあるような形相だ。入れ違いで、疲れたと言い残し、林ドクターはクリニック隣の自宅で仮眠に入った。
「ただいま、弥生。ベビーは安定してる?」
 智美は看護師詰所と隣接している、新生児室を覗きながら言った。
「うん。皆予定日外の出産だったのに元気よ」
「よかった。これでベビーの救急搬送なんてあったら、私達体がいくつあっても足りないわ」
 林ドクターは小児専門医の資格は持っていないので、ベビーに異常が見付かった場合は、看護師が付き添いで、提携の救急指定病院に行く事になっている。弥生はその状況を想像し、眩暈を覚えた。
「あれ? 夏川さんは一緒じゃないの?」
「ああ、病室の巡回に行って貰った。流石に今日の清浄は可哀相だと思って。それにまだ仕事遅いしね。私せっかちだから怒ってしまいそうで」
 ついしのぶに同情してしまう。初めての夜勤がこれでは、さぞかし疲れた事だろう。
「今年は新人が一人だものねえ。どうしても夏川さんに目が行ってしまうのは、分からないでもないわ」
 例年、林産婦人科クリニックでは二人ないし三人の新人を採用する。今年は入職辞退者が出たらしく、今年の新人はしのぶ一人だ。大きな施設のある病院の方が人気あるのよね、と師長がぼやいていた記憶がある。
「ねえ、薬品庫は閉めてきたっけ?」
「あ、どうだったっけ。分からない」
「じゃあ私が見てくる。ここお願いね」
「ありがとう智美、助かる」
 個人のクリニックで一番取り扱いの薬品が多いのは、内科と産婦人科がいい勝負だろう。お産、性病、更年期に不妊治療。内科、外科、精神科……多岐に亘る分野の薬品内容。林ドクターは、デリケートな病名も多い診療科目だからと患者に配慮し、院外処方を行っていない。薬品庫の管理は大切な仕事のひとつだ。智美に施錠を任せ、弥生は再びカルテ書きに没頭し始めた。
 二十分程経っただろうか。弥生は、しのぶも智美も詰所に戻って来ない事に気がついた。そんなに広い病棟じゃないのに。何かあったのだろうか。
 その時、ナースコールが詰所に鳴り響いた。201号室。今夜緊急入院した、吉田真里亜の部屋だ。音声モニターで声を掛けるが返事がない。産後の後陣痛の痛みが酷いのだろうか。弥生は懐中電灯を持つと、無人の詰所に施錠をし、201号室に向かった。
 廊下の途中で、智美とすれ違う。伝えると、痛み止めの準備をしておくと言い、智美は詰所に戻っていった。
 吉田真里亜。弥生は頭の中で、どんな患者だったか反芻する。
 二十一歳、第一子目。
 確か〈デキ婚〉の筈だ。カルテの苗字部分に修正があった。かなりの週数になってから初めて外来を受診しに来て、林ドクターに怒られていた記憶がある。救急車で運ばれてきた時は、意外と落ち着いてくれていて助かった。救急車で来る患者は、パニックに陥っている場合が多いからだ。ご主人も付き添ってきてくれなかったみたいだし、痛みじゃなくて、不安があるのかも知れない。
 弥生はコールがあったその部屋のドアを開け、中に入った。
「吉田さん、どうされました?」
 ベッドに近寄ってみると誰もいない。病室は全部個室なので、トイレは部屋に付いている。まさか……脱走!? 慌てて廊下に出ると、薬品トレイを持った智美の姿があった。
「智美、201いない! 探して!」
「わかった!」
 カルテに要注意マークが付いていたのを忘れていた。きちんと受診に来ない患者は、産んだ後に病院から逃げる事もあるのだ。受診が出来ない、イコールお金が無いからだ。出産費用が捻出出来なくて脱走、この業界ではよく聞く話だ。
 二階の病棟から一階の外来まで一気に駆け降りる。ふと片隅の椅子に人影が見えた。
「吉田さん!?」
 懐中電灯で照らすと、まさに探していたその人だった。
「貴女どうしてこんな所に……」
 捕まえた。内心弥生は安堵する。
「すみません、ちょっと電話がかけたくて……」
 公衆電話機は一階にある。気持ちは分かるが。
「今日はまだ体を休めないと駄目ですよ。貴女は赤ちゃんを産んで、間もないんですから」
「誰にも言えずに入院しちゃったので……」
 子宮収縮の痛みもあるだろうに、そこまで電話がしたかったのか。私が連絡するから大丈夫よ、と話し掛け、病室へ帰るよう促す。真里亜も素直についてくる。脱走じゃなくて、本当によかった……明日の朝事務職員の方から、無理に動いて電話したりしないよう、家族に連絡を取って貰おう。階段を昇りながら、そう決めた。
(あれ? 何これ?)
 階段の途中で光る物。拾いあげてみると錠剤が一錠、シートに包まれて落ちていた。この薬は……。
 絹を裂く。まさにその表現がぴったりの絶叫が、二階で響いたのはその時だった。

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竹の子書房社員・水崎沙亜乃の竹の子書房用作品倉庫。
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